マムシグサ

     

「この花なんの花」と先週のサンデーノルディックウォーキングの際に百年記念塔の登り口で見つけて投稿しました。

「マムシグサ」の実だそうです。花ではありません実だそうです。

今日のサンデーノルディックウォーキングでIさん、Kさん、Tさんと4人でおりてきた際に、尋ねたところ、Tさんがすかさず「マムシグサの実」だとお答えいただき、すぐネットを開いて見せてくれました。わが同好会員の皆さんは物知りの方が多いです。

調べてみましたら、有毒植物だそうです。

お話に花が咲いて

     

サンデーノルディックウォーキングは、毎回、「記念撮影」と称して、参加者確認も含めて、スタート前に写真撮影を行っております。

今日も「写真を撮りますと言いました」がなかなか集まってもらえません。それは話に花が咲いているからです。Kさんが「写真撮るよ」と声掛けをしてくれ撮影しました。楽しくお話をすることは、ノルディックの目指すところでもあり、結構なことと思います。

今日は15名の参加です。

今のところ大丈夫そう

     

第46回ノルディックinいわみざわは11日開催です。

今のところ天気は、降水確率50%ですが、大丈夫そうです。

やはり、どうしても天気は気になります。

お礼とお願いををしていきました

     

9月24日の第45回ノルディックインinいわみざわで〇〇分屯基地にお邪魔をしました。

そのお礼と、お願の文書を送付させていただきました。は、頂上で写した写真が今一つです。そこで、広報の方も写真を写していたものですから、頂上と分屯基地前にで最後に写した画像の提供をお願いしました。提供してくれるでしょうか?

10周年の記念誌に掲載したいと思いますので是非、よろしくお願いします。

〇藤さんからのお手紙

     

今日から10月に入りましたね。

〇藤さんのお手紙についての続報です。

〇藤さんは、ノルディックinいわみざわのご案内を差し上げましたら、必ずご連絡をいただきます。それが欠席であっても。はがきか手紙もしくはFAXでです。本当に律儀な方です。これまでも〇藤さんの生い立ち等について、何度かお知らせをいただいておりました。

『「戦争体験」の投稿は、戦争を体験し苦しい人生を歩んできた人が少数派になったので後世につたえる義務感から投稿しました。戦争の悲惨さは、国家統制、軍の横暴、忠君愛国。庶民が犠牲になり地域も「家庭」も破壊され、何の保障もなく、何代にもわたって這い上がる道が閉ざされてしまうことです』と書かれております。

昭和19年に、投稿された小倉(今の北九州市)で空爆に会い学校は閉鎖され、母と幼い兄弟5で疎開されたようです。

疎開先では、「住む家・食べるもの・着るもの」何もなく、部落の風習や言葉になじめず、疲労と責任の重さから、お母さんは病に伏し、昭和26年46歳でお亡くなりになったとのことです。29年に19歳で自衛官になり滝川駐屯地に勤務されたそうで、そこで大学の通信教育受けられたそうです。そして高校の教員になられたのです。3人の弟妹に毎月仕送りをして、立派にご卒業になったとのことです。大変なご苦労が記されております。 ~ 大変長い文書をいただいております。兄と二人で母の着物と食べ物を物々交換してもらって帰宅途中、特高警察に呼び止められ、「闇だ統制違反」没収され、兄と二人泣いて帰ったことや、28年6月熊本の水害で、すべてが流されどうして生きていくか途方に暮れたことなどたくさんのことが書かれております。5人兄弟スクラムを組んで「耐えて忍んで努力する道」を選んだとも書かれております。長くなりますので、これくらいにして ~

〇藤さんの教え子の父母が、会員の中にお二人いらっしゃいます。先生とは、よく教え子のことを覚えていらっしゃるものです。

〇藤さんのお手紙を拝見しておりますと、戦後生まれの熊ちゃんにとりましては、今日まで誠に平和な時代に生活をさせていただいてきたものと思います。まったくの「平和ボケ」です。

結びに、「だんだんと文字が書けなくなったのこれにて。朝5時半」と書かれております。封筒の裏の差出人の下に「10月11日参加します」とも。

 

〇藤さんからお手紙を頂戴しました

     

インターネットをご覧になっているはずのない〇藤さん。25日のこのブログに投稿しているのを見ているはずがないのにご丁寧なお手紙を頂戴しました。

「私ごとき老人も仲間としていただいて感謝しております。・・・・・・・・。あと何年も会員としてご一緒はできませんが、その間よろしくお願いします」とも。

長沼からの帰りの熊ちゃんの車の中で、北海道新聞9月22日号のくらしの欄で、『昭和ヒトケタ世代の戦後75年』の記事の話になった時に、熊ちゃんが、「〇藤さん、送った原稿はかなり修正されて載っていたでしょう」と話しましたところ、「かなりなんていうものではない」旨のお話をされており、戦争の悲惨さについて語られておりました。

今回のお手紙には、道新に送った原稿の写しが同封されておりましたので、送った原稿と掲載された記事の内容の違いについて分かってもらおうと送っていただいたものと思っております。新聞は限られた行数でいかに筆者や記者がその思いを伝えるかがポイントであり、できるだけ短い文章で伝えなければならないのが大原則です。お話も文章も長々としゃべったり、書いたりするのは、意外とたやすいとは言いませんが、それ以上に簡潔明瞭にしゃべったり、書いたりすることはなかなか難しいと言えます。「一筆啓上つかまつる、火の用心、おせん泣かすな、馬肥やせ」がその代表的な例と言えるでしょう。そして、5W1Hも確実に入れておかなければなりません。

さて、原稿と掲載された記事。掲載されたのは送った原稿の5分の1と言ったところでしょうか。それにしてもプロはうまくまとめるものです。本当に感心させられます。

これは何のお花でしょうか?

     

ゴルフ場の入り口のところから、百年記念塔に向かって登っていきますが、曲がってすぐ左のところに赤い花が咲いておりました。何の花でしょうか?

まだ満開ではないと思いますので来週も見ることができるかもしれません。もうすぐ10月ですよ。

登る時に気が付いたのですが、写すのを忘れ、夕方写しに行ってきました。薄暗いものですからストロボが光りました。

 

銃口を向けられた方がいるんです

     

今朝のサンデーノルディックウォーキング。24日の第45回の話題が出ないはずがありません。

百年記念塔の休憩時に、隊員の数が400名を超える多くの人数がいることや、職務の関係で隊員の一部の人しか登ることができない頂上に登らせていただいたことなど・・・・。

会員の〇〇さん。かつてお姉さんと山菜取りで山に入った時、「立入禁止と書かれていたけれど、何でもないだろうと入って行ったらいきなり銃口を向けられて、びっくりした」と。やっぱりそうなんですね。その話を聞いて、また、ビックリ。

今日のサンデーノルディックウォーキング。随分と寒かったからでしょうか。13名の参加でした。

少し違和感が

     

今日の夕方になって、少しですが足に違和感を感じております。一昨日のあの登りが効いたのでしょうか。ほんのちょっぴりですが張りを感じています。

ちなみに、移動距離は、6.06㎞で栗沢文化センター百年記念塔往復の距離と同じ程度です。平均時速4.2㎞で登りがきつかったのでそんなものでしょう。歩数は、8,731歩。平均歩幅は、69㎝でした。歩幅も登りがきつかったので、これまたそんなものでしょう。消費カロリーは458.7キロカロリーでした。

標高は、97mのところをスタートし、275mの頂上まで登り往復しました。

なお、熊ちゃんの24日の歩数は、15,454歩でした。