ボケもボケ、大ボケです

     

昨日、地元中学校の卒業式終了後の午後から、北広島市にある母方の親せきに叔父といとこの3人で出かけてきました。

そこで、奥さんから「ノルディックウォーキングのポールを世話してあげると言っていたのもう忘れているでしょ」と言われ、ギャフン。もう3年以上も前のことで全く覚えておりません。一緒に行った叔父、いとこにも笑われ、額には脂汗。ウォーキングはしているとは言うものの、ご主人は、もう90歳に手が届く年齢です。この3年間の時間の経過は、如何ともし難い。大変なご無礼をしてしまいました。

もう3年も前からボケているんですね。困ったもんです。  (「今頃やっと気が付いたか」ですって・・・・・・)

そこで、カタログと手元にあるポールを見本としてお持ちし、再度伺うことにしました。

卒業式

     

昨日12日の日曜日に、地元の中学校から卒業式のご案内をいただき、出席してきました。

息子や娘の入学式や卒業式 はすべて女房任せ、考えてみれば中学校の卒業式は、52年前の自分の卒業式以来と言うことになります。

その卒業式は感動的なものでした。整然と式は進み、女子生徒の答辞には涙がこみ上げてきました。

熊ちゃんもこの中学校の同窓生でありますが、学校統合で新しい歴史を刻む中学校となっております。したがって校歌は、私どもの時代の校歌ではありませんでした。私どもの時の校歌は、詩人の「サトーハチロー」先生の作詞、作曲は、歌のおばさんの「松田トシ」先生でした。新制中学がスタートした時、校歌がないことから、ある男子生徒が、サトーハチロー先生に、「ぜひ校歌を作詞してください」と手紙を書いたそうです。すると、サトーハチロー先生はわざわざ来てくれ、現在中学校のある夕日ヶ丘に立って詩を書いてくれたそうです(4番まで)。当時の中学生は、そのために廃品回収やフキやワラビを取りでお金を貯めたとか。

伝説の校歌を聞くことはできず、ちょっぴり寂しいところもありましたが、42名の生徒の皆さんの健康で、今後のご活躍をご祈念申し上げております(私らの学年は245名でした)。

感激をして帰ってきましたがノルディックとは関係なくゴメンナサイ。