〇藤さんからのお手紙

     

今日から10月に入りましたね。

〇藤さんのお手紙についての続報です。

〇藤さんは、ノルディックinいわみざわのご案内を差し上げましたら、必ずご連絡をいただきます。それが欠席であっても。はがきか手紙もしくはFAXでです。本当に律儀な方です。これまでも〇藤さんの生い立ち等について、何度かお知らせをいただいておりました。

『「戦争体験」の投稿は、戦争を体験し苦しい人生を歩んできた人が少数派になったので後世につたえる義務感から投稿しました。戦争の悲惨さは、国家統制、軍の横暴、忠君愛国。庶民が犠牲になり地域も「家庭」も破壊され、何の保障もなく、何代にもわたって這い上がる道が閉ざされてしまうことです』と書かれております。

昭和19年に、投稿された小倉(今の北九州市)で空爆に会い学校は閉鎖され、母と幼い兄弟5で疎開されたようです。

疎開先では、「住む家・食べるもの・着るもの」何もなく、部落の風習や言葉になじめず、疲労と責任の重さから、お母さんは病に伏し、昭和26年46歳でお亡くなりになったとのことです。29年に19歳で自衛官になり滝川駐屯地に勤務されたそうで、そこで大学の通信教育受けられたそうです。そして高校の教員になられたのです。3人の弟妹に毎月仕送りをして、立派にご卒業になったとのことです。大変なご苦労が記されております。 ~ 大変長い文書をいただいております。兄と二人で母の着物と食べ物を物々交換してもらって帰宅途中、特高警察に呼び止められ、「闇だ統制違反」没収され、兄と二人泣いて帰ったことや、28年6月熊本の水害で、すべてが流されどうして生きていくか途方に暮れたことなどたくさんのことが書かれております。5人兄弟スクラムを組んで「耐えて忍んで努力する道」を選んだとも書かれております。長くなりますので、これくらいにして ~

〇藤さんの教え子の父母が、会員の中にお二人いらっしゃいます。先生とは、よく教え子のことを覚えていらっしゃるものです。

〇藤さんのお手紙を拝見しておりますと、戦後生まれの熊ちゃんにとりましては、今日まで誠に平和な時代に生活をさせていただいてきたものと思います。まったくの「平和ボケ」です。

結びに、「だんだんと文字が書けなくなったのこれにて。朝5時半」と書かれております。封筒の裏の差出人の下に「10月11日参加します」とも。