〇藤さんからお手紙を頂戴しました

     

インターネットをご覧になっているはずのない〇藤さん。25日のこのブログに投稿しているのを見ているはずがないのにご丁寧なお手紙を頂戴しました。

「私ごとき老人も仲間としていただいて感謝しております。・・・・・・・・。あと何年も会員としてご一緒はできませんが、その間よろしくお願いします」とも。

長沼からの帰りの熊ちゃんの車の中で、北海道新聞9月22日号のくらしの欄で、『昭和ヒトケタ世代の戦後75年』の記事の話になった時に、熊ちゃんが、「〇藤さん、送った原稿はかなり修正されて載っていたでしょう」と話しましたところ、「かなりなんていうものではない」旨のお話をされており、戦争の悲惨さについて語られておりました。

今回のお手紙には、道新に送った原稿の写しが同封されておりましたので、送った原稿と掲載された記事の内容の違いについて分かってもらおうと送っていただいたものと思っております。新聞は限られた行数でいかに筆者や記者がその思いを伝えるかがポイントであり、できるだけ短い文章で伝えなければならないのが大原則です。お話も文章も長々としゃべったり、書いたりするのは、意外とたやすいとは言いませんが、それ以上に簡潔明瞭にしゃべったり、書いたりすることはなかなか難しいと言えます。「一筆啓上つかまつる、火の用心、おせん泣かすな、馬肥やせ」がその代表的な例と言えるでしょう。そして、5W1Hも確実に入れておかなければなりません。

さて、原稿と掲載された記事。掲載されたのは送った原稿の5分の1と言ったところでしょうか。それにしてもプロはうまくまとめるものです。本当に感心させられます。

これは何のお花でしょうか?

     

ゴルフ場の入り口のところから、百年記念塔に向かって登っていきますが、曲がってすぐ左のところに赤い花が咲いておりました。何の花でしょうか?

まだ満開ではないと思いますので来週も見ることができるかもしれません。もうすぐ10月ですよ。

登る時に気が付いたのですが、写すのを忘れ、夕方写しに行ってきました。薄暗いものですからストロボが光りました。

 

銃口を向けられた方がいるんです

     

今朝のサンデーノルディックウォーキング。24日の第45回の話題が出ないはずがありません。

百年記念塔の休憩時に、隊員の数が400名を超える多くの人数がいることや、職務の関係で隊員の一部の人しか登ることができない頂上に登らせていただいたことなど・・・・。

会員の〇〇さん。かつてお姉さんと山菜取りで山に入った時、「立入禁止と書かれていたけれど、何でもないだろうと入って行ったらいきなり銃口を向けられて、びっくりした」と。やっぱりそうなんですね。その話を聞いて、また、ビックリ。

今日のサンデーノルディックウォーキング。随分と寒かったからでしょうか。13名の参加でした。

少し違和感が

     

今日の夕方になって、少しですが足に違和感を感じております。一昨日のあの登りが効いたのでしょうか。ほんのちょっぴりですが張りを感じています。

ちなみに、移動距離は、6.06㎞で栗沢文化センター百年記念塔往復の距離と同じ程度です。平均時速4.2㎞で登りがきつかったのでそんなものでしょう。歩数は、8,731歩。平均歩幅は、69㎝でした。歩幅も登りがきつかったので、これまたそんなものでしょう。消費カロリーは458.7キロカロリーでした。

標高は、97mのところをスタートし、275mの頂上まで登り往復しました。

なお、熊ちゃんの24日の歩数は、15,454歩でした。

特別な許可を得て掲載です

     

今回は、写真撮影は事務局だけ言うことでカメラを持ち込みました。しかもSNS等のアップはダメと言うことでした。

ですが、特別に許可をいただいての掲載です。

天気は良かったのですが、モヤがかかっておりました。後方は、札幌方面です。

なお、平成23年9月20日お邪魔したときと頂上の様子が変わっており、集合写真をうまく撮れる状況ではなかったです。

 

次の画像が、平成23年9月20日に開催した第2回ノルディックinいわみざわでお邪魔したときの画像です。

この写真のカメラをもって映していただいてるところが改良されて無くなっておりました。

後方が樽前山の方向です。

それは無理でしょう

     

昨日の第45回ノルディイクinいわみざわ。多くの会員の皆さんにご満足をいただけたものと思います。

そんな中で、「家族で来ても受け入れてくれるのでしょうか」との質問があったそうです。「それは、無理です」との返答であったと聞いております。

それはなんぼなんでも無理でしょう。気持ちはよくわかりますがね。

K会長によると、4百数十人の方が勤務されているそうですが、3分の2ほど行ったところの扉を超えて頂上に向かうことができる隊員は限られた数十人だそうで、多くの隊員の方は、頂上まで登ることなく異動してしまうそうです。しかもその扉を超えて頂上に向かうには、1回1回必ず、許可申請をして許可の下りた方だけが頂上へ向かうことができるそうで、機密に関して誠に厳しい制約があるようです。

また、これも聞き伝えによるものですが、山菜取りに入って間違って基地内入ったものなら、すかさず武装した隊員に銃口を向けられるそうです。それは、長沼の会員であるSさんがおっしゃっているのだそうです。つまり、多くの隊員の方があの山一帯を守っているのだそうです。

それはそうでしょう。ミサイルが飛んできたときなどの北海道の制空権を守っているのですから。参加した皆さんは、あの頂上の様子で感じ取ることができたと思います。

それだけ簡単に立ち入ることができない貴重な場所に入れさせていただいたものと思います。

写真については、SNS等にアップが制限されていることでもありますので、何処かわからないような文章表現にしております。

昨日の様子です

     

昨日の第45回ノルディックinいわみざわ。栗沢文化センターでの受付状況です。

ご覧になってください

     

昨日のノルディックinいわみざわにわが同好会最高齢の85歳。〇藤勲さんも元気にカメさん組で頂上の手前1キロメートルのところからウォーキングをはじめ、無事到着しました。

登りはきつかったようですが、帰りの熊ちゃんの車の中で、「長生きしていて良かった」と大変喜んでいただきました。

さて、北海道新聞9月22日の朝刊。8ページのくらし欄に「昭和ヒトケタ世代の戦後75年 読者からの手紙 3空襲と言う体験」に〇藤さんの投稿された記事が掲載されております。「味方の高射砲片でも被害」のタイトルで。

〇藤さんは、昭和10年生まれの熊本県ご出身。昭和19年6月小倉(現北九州市)でのすさまじい空襲体験を書かれております。戦争はダメだ。是非、お読みになってください。

〇藤さんさんは、当初自衛隊に勤務されましたが、その後教員となられ、岩見沢〇高校を最後に退職されました。つい最近まで、美唄の高校等で非常勤として教鞭をとられていたようです。〇藤さんは、サツマイモの大家で故郷の熊本のご兄弟から、サツマイモの苗を取り寄せ、近隣の小・中学校、10数校でサツマイモを栽培して現場教育を今でも実践されております。

熊ちゃんも、毎年苗を分けてもらい、家庭菜園で栽培しております。10月5日ごろが収穫適期と教えていただいておりますので、楽しみにしているところです。

〇藤さんは、2年前だったでしょうか、心臓を手術されましたが、回復してお元気です。元気なうちは同好会の行事に参加してくださると言ってくれております。有り難いです。

エール 3

     

今日の連続テレビ小説「エール」は熊ちゃんにとっては意外な展開でした。

「暁に祈る」の作詞で窮地に立つ、村野鉄男を連れて、福島に帰郷した裕一。久志もどういう訳か福島に帰省しており、驚きました。

裕一が鉄男の「暁に祈る」の作詞がうまくいかないため、鉄男を藤堂先生にめぐり合わせたということのようです。藤堂先生は出征することとを告げ、「出征する自分のためを思って作詞してくれないか」と鉄男に言いました。

軍に、6回も書き直され、首になった鉄男ですが、藤堂先生のこの一言で「暁に祈る」の作詞を完成させたのではないでしょうか。一説によますと、7回目でOKになったとも言われておりますので、この詩が後の大ヒットになるのかもしれません。

鉄男は、藤堂先生の言葉で、「あーあ、あの顔であの声で手柄頼むと妻や子が・・・」と。藤堂先生と、妻の晶子と幼い息子のことを思って作詞をしたのではないかと思います。

そして、福島三羽烏で大ヒットにつながるのでしょう。

エール第1回の放送で、鉄男が藤堂先生のの墓前で、「あの裕一が、オリンピックマーチを作曲しました」とラジオをもって墓前に報告していました。つまり56年前の昭和39年のオリンピックの開会式に藤堂先生はすでに他界されていたと言うことです。

藤堂先生はおそらく戦死していたのではないかと想像しております。それだったらむごいし悲しい。

明日、25日は金曜日ですので、どんな展開になるのでしょうか?

管理者からは酒を飲んで、ブログに触ることのないようにと注意を受けておりますが、お陰様で、天候にも恵まれ、第45回ノルディックinいわみざわが、うまくいったものですから、ビールを買ってきて飲みましたので、悪しからず。