それは無理でしょう

     

昨日の第45回ノルディイクinいわみざわ。多くの会員の皆さんにご満足をいただけたものと思います。

そんな中で、「家族で来ても受け入れてくれるのでしょうか」との質問があったそうです。「それは、無理です」との返答であったと聞いております。

それはなんぼなんでも無理でしょう。気持ちはよくわかりますがね。

K会長によると、4百数十人の方が勤務されているそうですが、3分の2ほど行ったところの扉を超えて頂上に向かうことができる隊員は限られた数十人だそうで、多くの隊員の方は、頂上まで登ることなく異動してしまうそうです。しかもその扉を超えて頂上に向かうには、1回1回必ず、許可申請をして許可の下りた方だけが頂上へ向かうことができるそうで、機密に関して誠に厳しい制約があるようです。

また、これも聞き伝えによるものですが、山菜取りに入って間違って基地内入ったものなら、すかさず武装した隊員に銃口を向けられるそうです。それは、長沼の会員であるSさんがおっしゃっているのだそうです。つまり、多くの隊員の方があの山一帯を守っているのだそうです。

それはそうでしょう。ミサイルが飛んできたときなどの北海道の制空権を守っているのですから。参加した皆さんは、あの頂上の様子で感じ取ることができたと思います。

それだけ簡単に立ち入ることができない貴重な場所に入れさせていただいたものと思います。

写真については、SNS等にアップが制限されていることでもありますので、何処かわからないような文章表現にしております。

昨日の様子です

     

昨日の第45回ノルディックinいわみざわ。栗沢文化センターでの受付状況です。

ご覧になってください

     

昨日のノルディックinいわみざわにわが同好会最高齢の85歳。〇藤勲さんも元気にカメさん組で頂上の手前1キロメートルのところからウォーキングをはじめ、無事到着しました。

登りはきつかったようですが、帰りの熊ちゃんの車の中で、「長生きしていて良かった」と大変喜んでいただきました。

さて、北海道新聞9月22日の朝刊。8ページのくらし欄に「昭和ヒトケタ世代の戦後75年 読者からの手紙 3空襲と言う体験」に〇藤さんの投稿された記事が掲載されております。「味方の高射砲片でも被害」のタイトルで。

〇藤さんは、昭和10年生まれの熊本県ご出身。昭和19年6月小倉(現北九州市)でのすさまじい空襲体験を書かれております。戦争はダメだ。是非、お読みになってください。

〇藤さんさんは、当初自衛隊に勤務されましたが、その後教員となられ、岩見沢〇高校を最後に退職されました。つい最近まで、美唄の高校等で非常勤として教鞭をとられていたようです。〇藤さんは、サツマイモの大家で故郷の熊本のご兄弟から、サツマイモの苗を取り寄せ、近隣の小・中学校、10数校でサツマイモを栽培して現場教育を今でも実践されております。

熊ちゃんも、毎年苗を分けてもらい、家庭菜園で栽培しております。10月5日ごろが収穫適期と教えていただいておりますので、楽しみにしているところです。

〇藤さんは、2年前だったでしょうか、心臓を手術されましたが、回復してお元気です。元気なうちは同好会の行事に参加してくださると言ってくれております。有り難いです。